読書感想「今はもうない」・・・
先日、偉大なる俳優・緒方拳氏が他界されました。
また一人、偉大な俳優が姿を消してしまわれたわけですが、こういうニュースがあった時は必ず「人はいつか死ぬ」という現実を思い知らされます。
特に、彼のようなスターはわかってはいても文字通り「永遠」なスターだと思えていきます。
”生きる”ということは”死に近づく”という逆の意味を孕んでいます。
こういうとき、「人の生きる意味」を考えずにはいられなくなります。
そういった瞬間が私は大切なのかと思えてきます。
人の死は、死によって失われる”思考”を覚醒させてくれるのでしょうか?
うだうだ書きましたが、今後も拳氏がブラウン管(いまどきは違うか)の中で輝き続けていくことを願うばかりです。
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/03/15
- メディア: 文庫
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「やられた・・・」の一言に尽きます。
第1部の「すべてがFになる」では、ミステリィの斬新さにしてやられましたが、今度は彼の小説家としての技術にしてやられました。
おそらく、これは読んだ人の9割以上の人がひっかかったでしょう。
確かに、気づくべきところはたくさんあったけど。
もう気持ちはもうハラハラドキドキでなんかニヤニヤしたり、イライラしたりなんか変に感情がふわふわしてやきもきさせられました。
もうまいりました!!って感じです。
ただ、これを読んだ一部の人はこんなん認めねぇ!!って人もいるでしょう。
それは仕方ないと思います。
ただ、森氏の読者の思考をとらえて書かれたこの本にただただ脱帽するばかりでした。
”弄ばれた”ってこういうことを言うんですね?
この作品としては「伝達」がキーポイントでしょうか?
以前犀川は「言葉に現さなければ伝わらない」と言ってましたが、今回はどちらかというと「言葉にしなくても伝わる」ものについてかな?
とりあえず第1部から振り返ると、犀川もずいぶん変わったなぁ、って感じますね。
残りの2作品はともにP700以上の超大作になっているので、読むのが大変そう。
だけどすらりと読めちゃうのかなぁ。
楽しみです。
お気に入りの台詞
犀「思考はあくまでも個人的な行為だけど、理論を組み立てるプロセスは対人的な行為になる。
君が面白いと思っているのは、つまり会話、コミュニケーションであって、それは、記号化の過程にほかならない」
犀「どういうわけか、地球の表面だけは宇宙じゃないと思っている人が沢山いるようだ」
笹「男女が親しくなり、多少でも馴れ馴れしくなると、お願いの言葉の構文がすべて、反語あるいは、疑問形の形態をとるようになる」
笹「いやはや、人間、誰でも皆、頭脳を持っている。
それも、少しずつ仕組の違うやつをだ。」
萌「ピザの分子構造をコンピュータで分析して、データをデジタルで送ってもらって、それを基にして、
カートリッジ化された基本分子から対象物を組み立ててコピィする……、
そんな、物質電装装置みたいなもの、あると良いですね。そのうちできますか?」
犀「そのうち、の定義によるね」
萌「私が生きている間」
犀「できない」
犀「『自然』と名づけられた存在に囲まれている
人間が世界を支配している?
誰がそんなことを言ったのだろう?
もちろん、人間以外に言わない。」
笹「綺麗なものに理由がないように、私たちを魅惑するすべての存在は、理屈がない。
何故、魅力があるのか。その理由を考えてはならない。
考えた瞬間に、それは逃げてしまう。」
犀「子供にはみんな、力を合わせることが大切だ、なんて幻想を教えているようだけど、
歴史的な偉業は、すべて個人の仕事だし、そのほとんどは、協力ではなく、争いから生まれている。
いいかい、重要な点は……、ただ……、人は、自分以外の多数の他人を意識しないと個人とはなりえない、個人を作りえない、ということなんだ。」
今日の独り言
「はたして、私は生へ進んでいるのだろうか、死へ進んでいるのだろうか。」