読書感想「数奇にして模型」・・・

やっぱ700Pにもなると厚いなぁ。


S&Mシリーズの第9弾をやっと読み終えた・・・
このシリーズの特徴である「WHYは理解できない」というのが克明に出ている作品だと思います。
この作者は一般概念では理解できない・解決できないようなものを出すことで、読者における固定概念を破壊しようとしているのか?と感じる時さえあるような部分も結構ありますね。
以前犀川が言っていた「内にいる人(作中の人)には気付かないけど、外にいる人(読者)には気付ける」関係を「謎を解こうとする読者にはわからないけど、楽しみながら読む読者には気が付けるかもしれない」という一般読者の思考の裏をかくような謎でしたね。
正直、前者の読者には面白くないかもしれない。


ただ、個人的には「詩的私的ジャック」と並んで個人的にはうーんって感じの印象でした。
唯一興味深かったのは、同期で登場する金子君がやっぱり理工系の学生だなって感じたところ。
こういった人は今どれだけいるんだ?
(理系の大学にいて、普段はあんまり感じないけどみんなこういった思考をしているのだろうか?)
だけど、作品の作りこみとしてはかなりのもの。
ネタばれとかが出回ってるけど、正直あそこまでは考えがおよばなんだ。
作中に出てくる手紙の「保険」という意味を追求していくと、確かにそう考えられるなぁ。
憶測から抜け出せないところを見ると、これもやはり答えは“不定”なのだろうか。


今回のテーマは「正常と異常」についてだと思う。
個人的には大学2年生くらいの頃に考えていたことで、結果的には本作で書かれているものとは異なると思う。
自分が考えるに、“正常”は人が考え出した理想像なのだ。
“異常”である我々は、理想として憧れる“正常”であることを夢見る。
ただし、“憧れ”というものは手に届かないことを孕んでいる。
よってそのことを意識(気づいた)した人は“異常”の中における“正常”なのではないかと思う。
つまり自分を知るということだ。
ニュース等では異常な事件がどうとか、いろいろ報道されているが、それはすべて“異常”な我々を“正常”であるようにカモフラージュしているにすぎない。
個人的な意見としてはそういった世界を促す世の中のほうが恐い。
世界にこれほど縛りをつけなければ生きていけない生命体はいるのだろうか?
この世の中の“異常さ”に目をつむり、“正常さ”をアピールするこの世の中の不思議さが今の世界最大の謎だと思う。



あと、またもやタイトルに遊びが・・・(このことを知るまでタイトルの意味がわからなかった)


お気に入りの台詞
犀「余裕を失うことほど、幸せなことは、人間にはないだろう」


萌「自分は、どこまでで一つだろう?
  生きていれば一つなのか?
  生きているうちは、どうにか一つなのか?」


洋「そもそも女の子の遊びそのものが、社会から与えられたものだったんだから。
  限られた狭い将来像を見せる模型なんだもん。
  女は大人になっても家の中で働けっていうルールの模型だね、おままごとも、お人形遊びも」


萌「先生、異常と正常の違いって、何だと思います?」
犀「正常を定義できれば、その補集合、つまり、そうでないものが異常だ」
萌「正常はどう定義するのですか?」
犀「それは、地域や時代によってまちまちだし、人によってもいろいろだ。厳密に定義したって意味がない」


曾「離れんか!酔っぱらいが!」
萌「間違えました」
曾「馬鹿者が!何をしに大学に来とるんだぁ、まったく・・・」



今日の独り言
「次はまどろみ消去偽物語を読もう」