理系(科)離れ・・・

ときどきなにかの弾みで、「理科離れ」の話題になる。昔に比べると、日本の子供たちが、理科に興味を持っていない、だから、将来の「技術大国日本」が危ぶまれる、というストーリィだ。僕は、これは事実だと思う。今の子供たちは、明らかに理系よりも文系志向が強い。でもそれは、技術が発展する時代に生きてきた昔の子供たちと、技術が成熟してしまった今の子供たちの差だろう。
 しかし、教育が悪い、という意見を耳にする。実験を見せたりして、好奇心を持たせるような楽しい理科の授業をすることが対策として叫ばれている。これには、僕はあまり感心しない。
 そういう問題よりも、今の大人たちが理系に対して持っている偏見の方が、子供たちに与える影響は大きいだろう。算数や理科ができたって社会では役に立たない。そんな小難しいことを考えてどうするのだ? 政治家も社長も、偉い人はみんな文系じゃないか。社会を支配しているのは文系の人間なのだ。理系はみんなオタクで、わけのわからない人間ばかりだ。理系は人間味がない。理系は人情がわからない。そういった目で見ているから、それが子供に伝わる。
(MORI LOG ACADEMYから抜粋)


この意見はまさにそのとおりだと思う。
最近の子供は昔と違ってうんたらかんたらとか、昔と今の違いをよくニュースなんかでやったりしているけど、それは社会、大人が変わったからだと思うのだ。
人が成長(学習)するのに何をするのか?
それは“真似”だ。
どんなこともまず真似ることから学んでいく。
その中に個性を入れて独自の表現ができるようになる。
では誰をまねればいいのか?
子どもにとってそれは親であり、大人なのである。
子供が変わったと感じるのは、偶然ではない。
大人が変わったから、子供が変わったのだと思う。
それをあたかも社会は他の何かのせいにする。
その原因を作ったのは我々人間なのに。
ここ十数年コンピュータ(ネットワーク)の普及により、犯罪が複雑化している。
それは仕方がない。
コンピュータ(ネットワーク)を生活上に取り入れたことにより、生活がより充実した代償として、こういった事態が生じるリスクに目をつむったためだ。
なぜこういった時代になったのか?のような報道をしていたりするが、当然の結果なのではないかとむしろなぜそういった報道をするのか疑問に思う。


現在の社会(以前もそうであったが…)では、特殊なものを認めない(排除する)傾向にある。
報道を聞いているとそう感じる。
オタクなんかがいい例ではないか?
オタクとはつまりはサブカルチャーにおけるプロフェッショナルだと思う。
サブカルチャーをあまり受け入れていない世論を受け、事件にサブカルチャーが関係している可能性があると、そこを徹底的に報道でついてくる。


こういった世の中で、理系は文系に比べて比較的偏見を持たれている。
自分は理系なので、逆に文系の人を不思議に思う。
理屈っぽいとか、よく理系の印象として言われるかもしれないが、逆に理屈がわからないと気にならないか?
(理系だが、思考回路は文系よりで理論で考えるよりも直観的な思考をします)


かなり脱線というか関係ない話を書いているが、抜粋した内容のようにこのままいくと“ものつくり大国日本”が終わりを迎えてしまう。
せっかく今まで気づいてきた文化なので、ぜひ反映させてほしい。
そのためにも社会的な流れを改善する必要があるだろう。



今日の独り言
「ほんと、途中何言ってんだおれ・・・」